![]() | 弘前はリンゴの町である。岩木山の東に位置する同市は青森県の南端で、碇ヶ関を境に秋田県大館市に接している。 弘前が歴史に登場するのは、津軽として日本書紀に「斉明天皇元年(655),津苅蝦夷6人に冠位を授けた」と書かれてあるのが最初である。 しかし、城を持った町並みとしては「初代津軽藩主となる為信が、慶長8年(1603)に高岡(後の弘前)の地に町割りや,新城の建設を計画した。」ことから始まるのである。 明治4年7月に廃藩置県で弘前県となったが、2ヶ月後の9月には青森県と改名されて同時に県庁所在地が青森市に移った。 |
弘前は雪国である。冬は雪が積もる町である。歩道も雪で埋まる。 ![]() じつは交差点の信号が縦に並んでいた。これはもしかして信号機の上につもる雪を少しでも少なくするための工夫だろうか? | ![]() |
![]() | 弘前城は大きかった・・・と思う。このような大きな門がいくつもあったからだ。この門は「追手門」だ、「大手門」ではない。 弘前城趾は建物のほとんどが国指定の重要文化財になっており、実際に目にしても大切に保存されているのがわかる。 |
| 今年春は気温が高かった。弘前もとっくに桜が散ってしまっていた・・・と聞いてきたが、それでは悔しい。意地でもと桜を探した。路面に白く散った小さなものは(下の写真参照)とよく見ると桜の花びら。 花びらが散っていると言うことは、もしや花があるのか? と上を見ると、まだちょっと八重桜が枝に残っていた。弘前で桜を見たのだ。感激。 ただし、この後公園内で迷子になったのは言うまでもない。 ![]() | ![]() |
![]() | 弘前城の天守閣は大きかった・・・と言いたいが、近寄って見ると実は小さかった。 しかし、弘前城が出来た当時は「高岡城」と呼ばれていて、そのころは華麗な5層の天守があったと言うことだ。残念なことに寛永4年(1627)の落雷で焼失したとのことである。 ちなみに現在のこの天守閣は、代藩主寧親が10万石となった文化7年(1810)に隅櫓を改造して構築したものである。 なお現在では内部を見学するには入場料(200円)が必要である。 |
| 天守閣手前に見える赤い欄干は、本丸と二の丸とをむずぶ橋で「下乗橋」と言われる。 名前の由来はこの橋の手前に下馬札があり、藩士は馬から下りることを定められていたことから付いたのだ・・・と立て看板に書いてあった。 | ![]() |
![]() | 青森銀行記念館は青森銀行の前身だった旧五十九銀行の本店として明治37年に建築された。 昭和18年に旧五十九銀行が他のいくつかの銀行を併せて青森銀行が設立されてからは、弘前支店となった。昭和40年に支店を新築してからは、明治期の文化財として保存されている。 記念館になってからは4月1日から11月30日まで開館している。冬の間閉館しているのは雪のためだろうか? (注:2月上旬の弘前城雪灯籠まつり期間中は開館する) |
| 弘南鉄道は弘前を中心に、大鰐へ行く大鰐線と黒石へ行く弘南線の2路線がある。実は幻の黒石線というのがあった。これは国鉄黒石線の払い下げを受けたものの赤字路線で現在は廃止されている。 この弘南鉄道には現在は元東急電鉄のステンレス車両が多く在籍しているので、日頃東急利用者の僕にはうれしかった。 なお、弘南鉄道ではワンマン化されているので、東急時代には見なかった整理券と運賃箱があった。 ![]() | ![]() |