hyaku-monogatari
■   クリちゃんのデジカメ散歩-10   ■

---- 2000,04,03 鎌倉・横須賀ぶらり旅 ----

 

 大船での用事が午前中に済んだしまったので、江ノ島から鎌倉を回って見ようと思い立った。大船から江ノ島へ行くとすればもっとも便利なのは湘南モノレールだろう。
 モノレールと言えば浜松町から羽田へ行くモノレールが有名だが、あれは跨挫式と言い、一本の太いレールに跨るものだ。それに比べて湘南モノレールは懸垂式と言い、頭上にあるレールに腕を伸ばしてぶら下がる形式だ。
 これは車両の床下に何も無いので、下を見るととっても不安になる。まるで遊園地の乗り物のようだ。

 


   湘南モノレールを終点の湘南江の島駅で降りたが、雲が厚かったので天候に不安を感じ、江ノ島までは足を伸ばさずに江ノ電に乗り換えて鎌倉に向かった。歩けば江ノ島にも目を引くものが有ったと思うが、それは又今度にしよう。


 湘南モノレールが独特なのは一般道路上を走ることではないだろうか。湘南モノレールは京浜急行の子会社であって、このモノレールが走っている道路は元々は京浜急行所有の有料道路だったのが解放されたものだ。この関係から湘南モノレールは道路上を走っている。ちなみに湘南と名が付くのはなにも江ノ島へ行くからだけの意味ではないと思われる。京浜急行はいまでこそ品川から三崎口まで行っているが、元々は品川・神奈川(横浜)間であって、横浜以南は湘南急行と言う別会社だった。
 ところで、江ノ電も一般道路上を走っていると言えるが、両方の写真を見比べると、「道路上を走っている」と言っても随分と意味が違うものだ。

 


 湘南モノレールと江ノ電の違いをトンネル内でも比べてみよう。左側の写真は江ノ電がトンネルから出ようとしているところだ。正面の出口から差し込む光がレールに反射して2本の線が手前下の方に向かっているのが分かるだろう。
 右側の写真は湘南モノレールがトンネルから出るところだが、正面の出口から差し込む光は上部のレールに反射している。まるで写真が逆さになっているように見えてしまう。

 


 稲村ヶ崎付近を行く江ノ電。この付近はもっとも江ノ電の名に恥じない典型的な江ノ電風景だと思う。真夏ならばサザンが似合うのだろうが、寒々とした曇天だとサザンは似合わない。  


 薄日が射してきて天候に不安が無くなったので鎌倉市役所で鎌倉観光案内図をもらい、長谷にある大仏様の高徳院へ歩いて行った。車で移動していては見つからないものも、歩く速度でならば結構いろいろと見つけることが出きる。
 写真左は懐かしいポスト。写真右は客待ちの人力車だ。車夫に親子連れの二人が交渉していた。この二人はその後長谷寺の前でこの人力車に乗っていたのに出会った。

 


 
 鎌倉の大仏様。「長谷の大仏」と言う言い方をよく聞いたことがあったので、「長谷寺の大仏」だと思いこんでいた。
 大仏の裏側に回ったら背中の窓が開いていた。胎内巡りの為の換気だったのだろうか。


長谷寺の始まり

 養老5年(721)徳道上人が一本の楠の霊木で2体の十一面観音を造った。木の本で造った尊像を大和の長谷寺にお祀りし、木の末で造った尊像は縁のある地に出現し、人々を救ってくださいと祈って海に流された。
 その16年後、天平8年(736)に相模国三浦に流れ着いたという。その後、尊像はご本尊として鎌倉のこの地に移され、徳道上人を招い寺を開いたのが、長谷寺の始まりという。

 


 
弁天堂・弁天窟

 長谷寺の弁財天は、八臂(はっぴ)の小さな像で、放生池のそばの弁天堂に祀られており、言い伝えよれば弘法大師が霊感によりおこもりし自ら刻んだといわれている。お堂の奥にある弁天窟にお壁面には弁財天と十六童子が刻まれている。


 軍港横須賀。JR横須賀駅を降りると目の前に軍艦ある。正確には自衛艦と言うべきだ。自衛艦はグレー色をしている。この色は写真を見ても分かるよう、遠い風景が色を失って見えるときに、自衛艦もその中にとけ込んで見えにくくなってしまう。これはきっと敵に見つからない工夫なのだろう。
 町を歩いていると軍人に出会った。これも正確には自衛官というのだろう。写真は信号待ちしているところだが、歩くときの姿勢も背筋が伸びてきて実に爽やかだ。まるで映画の一場面みたいだった。ちなみにこの写真を撮るために10分も後をつけ回した。

 


 横須賀駅から三笠公園に向かって歩いていると「翻訳」と書かれた紙を貼ったお店を見つけたので、近くの立ち食いそば屋のおばちゃんに聞いてみた。横須賀は米軍基地があり戦後すぐから米軍軍人を目当てのお店が林立したとのこと。有名なのは「どぶ板横町」だろう。この米軍aaいてのお店で働くホステスなどの女性が、ラブレターなどをもらった時に訳してもらったり、自分が出す手紙を英語にしてもらったりしていたとのこと。今は無き渋谷の恋文横町と一緒だ。
 付き合ったアメリカ軍人は母国に帰り子供と一緒に取り残された女性がいくら手紙を出しても返事が来なかったりしたこともあっただろう。当時ハーフの子供はいじめられたりもしたとそば屋のおばちゃんは話した。そういえば「青山ミチ」というハーフの歌手がいたが、薄幸な感じだった。
 


 
 三笠公園には日露戦争で日本を勝利に導いた戦艦三笠がある。すでに地面に埋め込まれているので艦船とは言えないが、たぶん日本で唯一の戦艦を間近に見られる場だろう。
 上記の写真(翻訳)から敗戦の悲しさを感じた直後に、戦勝記念とでも言えそうな戦艦を目の前にして複雑な気分だった。


 

追伸:三笠の写真を撮ったところでデジカメのバッテリーが切れた。残念である。

 


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